支援方法って、難しいですよね。


Sさんと言うご利用者がいてね。私が担当している90歳の女性です。要介護度が3から2になった。

本当は喜ぶ事だし、在宅への道はずっと模索しています。

Sさんは、私に対して特別な思い入れがあるみたいなの。私の名前は覚えていません。「いつもお世話になってる人」としか覚えてません。短期的な良い記憶は続くけれど、長期の記憶、特に最近の事の長期的な記憶は続かない。日常生活の行動はほとんど全部出来るけれど、助言者が必要。

自分ひとりでは生活できないけれど、支援者が居れば、生活できると言う様子だから、在宅が事情で難しければ、GHならいけるとは思う。

でね。
考え込んでいるのは、彼女は私が居ると安心する。夜、パジャマを着せたりすると、(大体着られるけど、パジャマを上だけ着て、下はそのままとか、ズボンの上にパジャマはいちゃう とかはある)なついてくるわけです。抱きつきこそしないけど、まあ、そんな感じです。私と言う人間が居る事で、彼女は安心して施設で生活している。
私も彼女の節目節目には、何らかのアプローチをするようにはしています。

最近、こんな事が在った。
散髪しようと言う事になってさ。自分で床屋に行きたいと意思表示が出来る感じじゃないの。髪の毛って、どのくらい伸びたのか、自分じゃ分からないよね。鏡はあるけど、それ程熱心に見ている様子も無いし。

だから、家族に了解を貰って、時々、こちらでセッティングします。それで本人さんに声を掛けるんです。
「Sさん、今度パーマ屋さんが来るんだけど、頭、刈る?」とか聞く訳です。「そうねぇ。しばらく行って無いから、行きたいなぁ。」「久しぶりに顔も剃ってもらう?」「全部やってもらおう!」なんて会話をして、理髪名簿に予約しておく。
2〜3日前から「パーマ屋さんが来るから行こうね」と言い続けておいても、忘れちゃうんだけど、当日は朝から2回も3回も言っておく。

本当は、Sさんは一緒にパーマ屋さんに私に行って欲しそうなんだけど、それは出来ないんで、(シフトで私にも仕事がありますから。)時々理髪室を覗いて、「Sさん、終りました?」と聞いて、終っていたら、別の仕事をしていても、とにかくSさんの所に行く。

「Sさん、頭、やってもらった?お!綺麗になったじゃん!」とかやります。「あたし、お金払っていないよ。どうしよう」とか必ず言いますから、「○○さん(息子の名前)から、この間、私が預かっておいたから、今、払ってきたよー。」「○○さん、優しいね」とか言う。

そんな感じで、Sさんは、まあまあ元気に楽しそうに生活してくれているんだけど、もしも、担当者が変わったら、途方にくれてしまうんじゃないか?と思うことがある。

家族の意向は、二度と家には戻さない と言うものです。一生施設で暮らして欲しいと言っている。
それが理想的な親への介護方針かどうか と言うのは、私はわからない。その家庭にはその家庭なりの何十年が在る。現在現役の家族の生活がある。
プロの居る施設なら、Sさんは楽しく生活できるけれど、プロが居ない自宅に戻って、家族がプロを上手に使って、在宅生活に支障が出ないように、セッティングできるかどうか、それを支える在宅のケアマネが居るかどうか、分からない。

だから、今、うちの施設に居る間は、オッケーなんだけど、「どんな支援者が入っても、Sさんが幸せに、楽しく、人生に意義を感じて生きていけて、最後は自宅で看取られていく」事を保障するには、どうしたら良いか、現在がうまく行っているからこそ、結構真剣に悩みます。

Sさんの家族は認知症とか、介護とか、福祉とか、在宅支援とか、そういうものにほとんど関心が無い。親が大事じゃない訳じゃないけれど、知らないし、分からないんです。認知に障害がある親に、丁寧に説明してみたり、だましてみたり、ごく当たり前の普通の家庭です。

90歳にしてはSさんは70歳に見えるくらい若いし、活気もある。認知の障害はあるけれど、日常生活に支障があったり、人に迷惑を掛けるような行動はない。

プロなんだから、何とかしたいと思うけれど、私の親の人生じゃないし、私の親だとしても、その人生を私が決める事は出来ないしね。

Posted by ftm_akira_t at 15:02 |Comments(0) |TrackBack(0) | 日記
介護屋はプロだ
介護屋と言う仕事をしている訳ですが、介護現場には介護の仕事だけがあるんじゃないですよね。

良く私は思うんだけど、看護と介護、支援と介助、は違うのね。看護とそれ以外が違うのは、結構浸透しているかもしれないけれど、支援、介助、介護も違います。

看護と介護が違うのは、看護は医療的な視点からのみ見た場合ね。
介護と言うのは、生活全般を見た場合。

介助と言うのは、本人さんに主導権がある場合です。本人さんが判断はする。実現手段が無いので、我々が手足になる と言う事で、こういう時の我々の役目は盲導犬のようなもんです。

介護と言うのは、本人さんの生活やら、なんやらの向上の為に、本人さんの希望に沿うようなものを、家族とか、介護者が、知恵を出し合って、方法を考えて、実現すると言う事です。

支援と言うのは、もっと広い意味で、後方支援もあるし、付き添いも在るし、本人さんに判断力が欠けていると言うような時は、失敗から学んでもらうようなアプローチも視野に入れての話。

で。

介護現場には、看護屋と介護屋が大抵一緒に居ます。一緒くたに仕事してる。
看護屋は、「私は医療の専門家。なんと言っても看護士なんだから。素人(この場合は介護職のこと)とは違うわ。」と思って仕事してる。現実に、処方箋の管理は、介護職には出来ないし、点滴も注射も出来ない。厳密に言えば、絆創膏も貼れないし、湿布も貼れない。浮腫んでいるからと、足を揉み解してあげる事も出来ない。痰の吸引も出来ないし、救急救命措置の装置も使えない。

だから、看護士の方がえらいかと言うと、それは違う。違うんだけど、看護士はそう思っていないんだな。

日常生活支援 と言う言葉を知っていますか?
支援費の上の点数計算上の区分なんだけど、昔で言うところの、複合 みたいな奴ですわ。
点数が低い。簡単なことだ と言う認識が国に在るんだろうと思う。

実は、こういう日常生活支援的なことが一番難しいんだ。本人さんが、認知に障害が無い場合、説得する と言う手段をごり押しする人がある。大抵看護職か、看護職のほうが偉いと思っている介護屋だ。

私ね。またまた、怒鳴られたんですよ。しかも、准看護士のばーさんに。

服薬管理をしなかったと言って、凄い勢いで怒鳴られた。外科の看護士30年やったと言う准看護士のばーさんにですが。

睡眠薬ありますわな?
今は純粋な睡眠薬は滅多に無い。普通の不眠の人が自分が欲しくて処方してもらうのは、睡眠導入剤がほとんどです。
その睡眠導入剤を、服薬確認しなかったから、本人が飲まずに翌朝持ってきた と言う事で、大いに怒鳴られた。

まず。

私を怒鳴ると言う事は、自分がえらいと思っているからです。つまり、看護士の方が薬に関しては偉いと言う事だ。

睡眠薬は寝る前に飲むよね?昼間飲まないよね?
自立棟でも、認知に障害がかなり出ている人はいる。ボーダーさんと言うか、そんな感じ。なんで自立棟に居られるかと言うと、日常生活にそれ程支障が無いから。迷惑行動をしないから。
勿論、それな施設と言う監獄の中に居るから、しないのであって、自宅に居たら、危なくて置いて置けないから、施設に入れているのだけれど。

ある私が担当する利用者さんに、昨夜(私、夜勤でした。)「あとで飲むわ」と言われて、睡眠薬を渡しました。その場で飲むのを目で見ていなかった。
そしたら、「飲まなくても寝られたから」と今朝、看護婦宛に持ってきた。
正確には、准看護士あてに持ってきた。

で、私が怒鳴られた と言う訳です。

誰でも彼でも、薬の袋を渡して知らん顔 と言う事ではない。その人がある程度出来ると思うから、その場で飲まなければ渡してる。
そこには、介護職としての私の判断と責任があるわけですよ。

勿論、失敗するかもしれないよ。失敗したらまずいけど、もし失敗したとしたら、私のこの判断の責任を私が取れば良い訳でしょう?
救急救命措置をしようと言うんじゃないんだ。
毎日のんべんだらりと飲んでいる睡眠導入剤を飲むかどうかの話だから。

准看護士のばーさんいわく。
服薬確認の意味をがんがん怒鳴る。
間違いがあったら、どうするのか、と怒鳴る。
まあ、それはそれでよいから、「すみませんでした。この施設ではそう言うことであれば、全員無理にでもその場で飲ませるか、拒否したと記録して、取り上げるようにします」と言いましたけど、それって、どうなの?

睡眠導入剤は、溜め込んで50錠飲んだとしても、死ねない様にできている。
誤薬と言う言葉があるけれど、「もし溜め込んで、何となく5錠10錠溜め込んでいっぺんに飲んだら、それは誤薬になって、裁判になったら、こっちが負けるのよ!」と言う。

まあ、負けるかもしれないね。

統合失調の治療薬を本人に任せたら、偉い事になるのは当たり前。だまそうが、何しようが、飲ませなければ駄目。
これを本人管理にするのは間違っている。

認知症激しくて、意思を表現できない人に「後で飲むんですよ。」と説得して、薬の袋を置いてくる馬鹿は居ない。
そうじゃないんだ。

その利用者さんは、確かに認知に障害がある。でも、今、自分が飲む薬が睡眠薬だと言う事は知っている。精神さんじゃないから、溜め込んでおいて、あとで、まとめて飲む事を楽しみに隠す実益が無いからそれは、やらない。絶対にやらない。

ところが。
認知障害なんだから、何をするか分からない。例え、全く認知に障害が無い人だとしても、飲みましたか?と確認しなくちゃいけない。」とかなんとか、怒鳴ってる。

聞けばいいの?
「飲みました」って嘘をついて、飲まずに居る認知に全く障害のない人、居ない?

服薬確認 の意味が違うのさ。
だから、私は怒ってる。
「裁判になったときに、訴えられないかどうか。誤薬事故として、書類に残す羽目になるかどうか。棟フロアの誤薬件数が1件増えるかどうか」の話をしているような気がして仕方が無い。

看護士がそれを気にするのは分かる。
介護屋の専門性はどこに行ったの?

介護屋が、あえて、多少認知に障害がある人に何か判断が出来るかどうかちょっと怪しいものを渡すのには、意味がある。
日常生活行動の保全です。
自分で判断して、それを的確に伝えられるかどうか。
一貫した行動が取れるかどうか。
それを見てる。
私はその人にはそれがまだ出来る状態だと思っているから、睡眠薬なら、渡すのよ。
だけど、高血圧の薬は渡さない。
高血圧の薬は、本人に判断されたら、生命に関わるから。

精神薬も色々在る。
睡眠導入剤くらいで、ぐちゃぐちゃ言うな。

何より腹が立つのは、「どうせ、介護は薬の事なんか知らないから、ほいほい考えもなしに適当に渡してサボっているんだろう」としか思っていないこと。
介護屋の中にも、同じ様な考えの奴が居て、「薬は服薬確認しないのは、駄目に決まってるじゃないか?」とかいう奴が居る。

こうして、どんどん、出来ない事が増えていくんだ。毎日やっている事は、認知に障害が出ていようがどうなろうが、保てるものがあるんだよ。
勿論、それは、薬の管理だけじゃないよ。
上げ膳据え膳がサービスじゃない。
転ぶから、車椅子から立ち上がらせない と言うのと同じ。

介護屋は資格があろうと、なかろうと、実際に支援、介助、介護の区別を的確に判断して、自分の責任で、対象の利用者にどれだけ能力保全が出来るか、が全てだ。その視点からやってることを、素人扱いするな。

ちょっと追求したら、「あんたの判断では出来るかもしれないけど、ここでは、服薬確認は必須とマニュアルに書いてある。あんたの仕事をしてきた場所ではそういうやり方だったかもしれないけれど、ここではそのやり方は駄目だと言う事になっているから、だめだ。」とか言うしね。

結局、自分のケツが拭けないから、事故になった時に、どうやって、自分を守るか、責任追及されないか ばっかりを考えている。そういう奴は、介護現場で、看護の仕事するな。

こっちで全部お膳立てして、正しい方向に本人さんを無理やりにでも引っ張っていくのは本当は簡単なんだ。ぎりぎりのところで、本人さんに判断をさせて、手を出したいけれど、我慢して、失敗するのを自分が後始末するつもりで、あえて、見ているのには、相当の能力と、責任が必要。

それをやるのが、介護屋のプロなのさ。

本人さんたる高齢者だって、価値観もあれば、人生もある。理想どおりの健康管理ばかりが出来るわけじゃない。その責任は、半分は本人さんが持つんだよ。だけどもう半分は介護屋が持つんだ。その認識で、介護屋は仕事しているんだ。

それが分からない物分りの良い介護屋、増えましたね。看護士の言う事なら、ほいほい聞いちゃう。
それじゃ、介護屋じゃない。プロじゃない。

私がその本人さんに対して、「この人は、認知に障害が出ているけれど、睡眠薬に関しては、飲む、飲まないの判断がまだ出来て、飲まなかったら、職員に申し出て、返すことが出来る人:」と判断した事が間違っている と言うのなら、それはそれで、私の判断ミスかもしれない。その点は、私は、間違いは正す用意がある。

その准看護士が言っているのは、そうじゃなくて、本人さんがどんな能力を持っているのか、見極める事をしないで、裁判に負けないように、家族から苦情が出ないように、とにかくこっちで全部管理すれば、訴えられない、と言う事だから、怒った。


だから、怒鳴りあった後で、その准看護士のばーさんに、「少し黙って聞いてください!」って言って、説明したよ。「介護のアプローチには様々な形がある。それを模索するのが、私達介護職のプロたる所以だ。だから、服薬確認は、飲み込むまでその場を離れずにじっと監視している事が正しい、それ以外は全部間違いだ と言う文句の言い方はおかしい」って。
「この人は、判断が出来ない人だから、渡したのはいけない」と言うなら、分かる。
「判断が出来ようが出来まいが、裁判にならないために、誤薬事故の報告書を書かないために、全員口の中に無理やり入れて、飲み込ませるのが正しいから、あんたの行動は駄目だ」と言うのはおかしい。

そしたら、その准看護士「はいはい。何でも良いわ。介護のアプローチはいろいろあるの。そうなの。はいはい。」と行ってしまった。

プロとしての自覚とノウハウを凄く傷つけられるよね。こういう事をされると。

看護と介護は違う
支援と介助も違う。
事故が起こらないように、何でも見張って、監視するのが施設の役目じゃない。

だから、在宅に、地域の返そうという介護職が居なくなっちゃうんだ。

相当怒ってます。私。